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ワルプルギスの夜

父方の祖母は友子の親分だった。
祖父は炭鉱夫だったが、なぜ祖母の方が親分になったのかは、今となっては知るすべもない。
父と10歳上の伯父はサラリーマンになったけれど、山に携わっていた。
特に父はフィールドワークが大好きで、某が幼少の頃は単身サードワールドに赴いて、ほとんど家にいなかった。

1ドル360円時代、渡航する人はほとんどがグリーンパスポートで、民間人にも外交官BAGが与えられ、ノーチェックで何でも自由に持ち出せた。
そんな時代だったから、中には勘違いして何者かにでもなったように、現地の方に威張り散らす人もいたそうだ。
今でもいる、前時代の遺物、選民意識の高い西欧人かぶれのおばかな日本人だ。
 

父は同胞の無茶を黙殺しながら仕事を続けていた。
バカにつける薬はない、といったところか。
政府も関係したPJで行った先でのこと。
ある日、件の人物のあまりの傍若無人ぶりに、ついに父がキレた。
どうキレたのかは黙して語らずだったが、大体のところは想像がつく。
何しろ某、拙宅一番の「ごじゃっぺ」で父の雷を一手に引き受けていたもので。。。

兎に角そのお方、その日以来、帰国まで一切宿から出てこなかったのだとか。
そりゃそうだ。
政府筋のふにゃにゃけた輩では、渡世人に囲まれて育った父の恫喝に耐えられるはずもない。
そのあと一行は何事もなかったように麓の町を出立し、山の中腹でテントを張った。
次の朝、目覚めた父がテントから出てみると・・・

大陸の、見たこともないばかでかいスイカが、テント脇に山積みにされていたそうだ。
ポーターたちを見ると、みな一様に疲れた様子で真っ赤な目をして、足は泥と埃まみれ。
でも、生き生きと目を輝かせて、とても嬉しそうだったとか。

鉱物探査をする位の山だから、その山にスイカが生っているはずもなく。
ポーター達は夜通し幾つも山を行って重たいスイカを担いで帰ってきたのだ。
ピラミッドが築城できるほどの数のスイカを、自分たちのために筋を通した父に報いるために。

なんという仁義。
仁義が国境も氏素性も越えた瞬間だ。
そのあと、みんなで美味しくスイカを食べたのだそうだ。
 
 
と、父に聞いたのはここまで。
ちなみに拙宅ではこれを「キンシャサの傘地蔵事件」と呼んでいた。
 

後日談を部下の方から聞く機会があった。
スイカは食べきれないほどあったので残りをポーターに託し、家族に配らせるために1名下山させた。
ポーターたちの気持ちの詰まったものをそのまま腐らせることはできなかったし、荷物は各自がギリギリの状態で担いでいたから、持って動くこともできなかった。
件のポーターの荷物は父が担いだ。
ごくごく普通の事のようにすっと担いだ、とその方は言っていた。
別の機会に母に「父のどこが良かったのか」と訊ねたら、同じようなことを言っていた。
確かに。これが出来る人に某も弱い(苦笑)。

用件を済ませたポーターは、大勢の仲間を連れて戻ってきた。
そこから毎晩、ポーターたちは順番に山を行ってスイカや、なにやら怪しげな自家製の酒やらを届けてくれたのだとか。

昼間はくたくたになるまで山を行き、最先端の機材を酷使して綿密な作業を繰り返す。
夜は満点の星空の下、人種も位も関係なく、酒とタバコを廻し、タイコ鳴らして踊り明かして、男たちの饗宴は何晩も続いた。
後にも先にも、あんなに楽しい仕事はなかった、とその方は笑顔で教えてくれた。
 
この件を拙宅では「コンゴのはげやまのよる」と呼んでいる。
ワルプルギスの夜は一晩限りの異形の祭り。
アフリカの夜は続くよ、どこまでも・・・
 

自分もこんなリーダーになりたいと思ってサラリーマンを続けて10年が経った。
山のようなスイカは未だ貰った事はないが、無理難題が起こると親切な小人たちがどこからともなく現れて手伝ってくれるようにはなったので、ちょっとは近づいているのかもしれない。
今日、辞令が降りました。
来年もサラリーマン稼業は無事、続く模様です。
 

追記。
件の地ではアメーバ赤痢の危険があるため、皮の薄い果物は食べてはいけません。
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まとめ
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